2014年6月アーカイブ

Nat King ColeのDNAを感じさせるFreddy Cole など

 

6月22日、23日と国際内分泌学会に参加しシカゴに滞在した。シカゴは10年ぶり位久しぶりであった。大都会であるがそれぞれ趣向をこらしたビルの街並みが美しい。

霧、雨、晴れのめまぐるしい天候であったが、寒からず暑からず清々しい様気であった。

シカゴと言えばジャズ、ジャズ好きの私は、2晩続けてライブジャズに足を運んだ。

 

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Jazz Showcase Freddy Cole(ピアノ ボーカル)Quartet ギター、ベース、ドラムスもうまかった。Freddyのピアノと歌は圧巻であった。Freddyの耳に優しい歌声、バラードの曲など素晴らしいものであった。さすがにNat King Coleの弟でDNAを聴かせていることが確信出来た。

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Andy's Jazz こちらではChicago Jazz Orchestraの素晴らしいビッグバンドを堪能した。

管楽器のハーモニーの美しさ、トランペット、サックスのソロも素晴らしい。また、一部ではFrieda Leeのボーカル[スタンダード)もなかなか味のあるものであった。

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ジャズは、アドリブで構成されるが、ボーカルと同時にそれぞれの楽器が発する音そのタイミングが心の琴線に響く、幸せな時間である。

ニューオーリンズで発祥したジャズがシカゴに行き成熟し、ニューヨークで開花した、その成熟度に接した様な感覚であった。

 

京都で開催された国際内分泌学会International Congress of Endocriology(ICE)から早くも8年経過した。今回は、短期ではあったが、2日間出席して、演題を2題発表した。

例年通りの基礎、臨床、tranllationalな内容の優れた発表が多く、参加者も極めて多かった。私は、下垂体癌の分子標的biomarkers(SSTR2,SSTR5,mTOR)の解析、膵消化管の神経内分泌腫瘍(GENeTs)での上記Biomarkersの解析結果を発表した。

下垂体癌の発表の際には、国内外の良く知った研究者が討論に来てくれた。また、GEPNETの発表には、研究者の他に、Vendors(企業)からも多くの質問があり、関心の深さがうかがわれた。特に注目されたのは、ソーシャルワーカー(Indianapolisの女性)であった。

NET患者のケアをしている人で、発表内容も充分に理解され、大変貴重な質問とサジェスチョンをいただいた。

 

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今回の発表で2つの印象を記したい。

1. 下垂体の講演に実に多くの聴衆が集まっていたこと。アクロメガリー、クッシング病、非機能性腫瘍の再発など 多くの課題がある。そこに病理をいかに関連づけるかを考えると極めて興味深い。私のライフワークがまだまだ多くの課題を残していることを知り嬉しく感じた。

2. 内分泌疾患に遺伝子解析が広く導入されている。興味深かったのは、甲状腺腫瘍の細胞診断(FNA)で、良悪性が決め難いIndeterminateの場合に、BRAFKRASなどの遺伝子解析をし、その診断精度を向上させるものであった。なんと、この解析を事業化した会社が3社あったことである。

 

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これまで永年共同研究をしてきた多くの研究者(Dr.Shlomo Melmed, Sally Camper, Sylvia Asaほか)にも会って親しく話が出来たことも嬉しいことであった。

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615()に松本城を訪れた後、安曇野の碌山美術館を見学した。

 彫刻家荻原守衛の彫刻および絵画が飾られている。

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 1879121日、 長野県南安曇郡東穂高村矢原の農家荻原勘六・りょうの五男に生まれる。31歳で喀血して死亡するまでに、米国およびフランスを舞台に彫刻の制作を手掛ける。

美術館には、代表作「坑夫」も展示されているが、実に力強い作品である。

守衛は22歳で渡米しフェアチャイルド家(下図:左のメダル)の学僕となり芸術の勉学に励む。多くの友人を得る。

 

碌山美術館2.jpg24歳でフランスへ。[考える人]をみて大きく感動する。後にロダンなど代表的な芸術家と出会い、知己となり、25歳で帰米、高村光太郎と出会い、27歳で再度フランスへ。

 28歳の時にロダンと面会。《女の胴》《坑夫》など代表的な作品を作成した。この年イタリア、ギリシャ、エジプトに立ち寄り、日本に帰国する。

29歳では、日本で活躍。同時に相馬良(黒光)(中村屋の創始者)との精神的愛染に苦しむ。多くの彫刻の創作活動に没頭する。31歳に新宿中村屋で吐血して死亡。

 

今日この美術館を訪れ、荻原守衛の短い人生に接していると、農業の家業を励みながら、芸術および学業に目覚め、良き師・友人と出会い、自分を磨きながら、米国フランスを舞台とした国際的な芸術家として認められるようになったことが手に取るようにわかる。

本人も勿論であるが若い10代から出会い彼をサポートした様々な人々が素晴らしい。又 国際的な舞台に彼を駆り立てたものが何であったか推測すると凄く楽しい

私はこれを書きながら、私の祖父(大槻の農家の次男坊として生まれ、後に世界的な血液学者となる)の人生と重ねている。同様に様々な局面で色々な人が支援をし祖父を育成したものと思う。

 

わが国の若者の国際性(外に出て行く)が問題となっているこのごろであるが、これからの日本の若者にも、何者に無負けずに、外国で活動することにかられるような、課題をみいだし、エネルギーを注いでもらいたい。

風光明媚な安曇野の地で、「恵まれ環境で育まれた"人育て"の環境、海外へも若者を駆り立てる程の課題を見つける大切性」に思いを馳せている。

66.7日にパシフィコ横浜において第55回日本臨床細胞学会が開催された。

国際細胞学会International Academy of Cytology(IAC)Philippe Vielh理事長は、学会に招聘され "Circulating tumor cells"についての講演し、近い将来の細胞診断の方向性を示唆するものとして注目された。血中に出現する癌細胞は予後、治療方針(分子標的治療など)において極めて重要な位置をしめることを示した。Vielh先生.jpg

 

69日には、Vielh教授は国際医療福祉大学三田病院を訪問され、国際三田セミナーにおいて"小児腫瘍における細胞形態学および分子細胞病理学"について講演された。

内容は腫瘍をGroupに分け、それぞれの細胞形態の詳細を述べ、その最終診断における遺伝子解析の重要性を力説した。

 

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Philippe Vielh教授は、優しさのにじみ出た性格で、日本滞在中に多くの友人を作り、観光、会食など大いに楽しまれた。

写真は参加者の皆さんと一緒に三田病院病理診断センターを訪問した際のものである

 

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Vielh教授は、10日に離日して中国に向かわれた。

本日(616日)のメールでは、Vielh教授の宣伝効果により2016年に横浜で開催される国際細胞学会に中国から多くの参加者が期待できるとの事であった。