1027日にIAC Tutorial Almaty, Hong Kong3回講演し、夜便で香港より移動し夜半の12時に上海に到着した。

蘇州へは列車で30分のところであるが、車を手配していただき、午前2時半頃に蘇州のホテルにチェックインした。

中華病理学会の開会式に8時から出席し、一端ホテルに戻り、午後2時からKeynote Lectureをした。

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IAC Tutorial Almaty, Hong Kongでは、参加者が300名近く、極めて活気に満ちたものであった。

今回は、HKIAPHKIACの合同開催であった。私は、Neuroendocrine tumor, Ancillary and molecular techniques,Unknown cases3講演を行った。質問も多く興味をもって聴いてもらえた。

蘇州(Suzhou)での、中華病理学会は4000人規模の極めて大きな集会であった。今回は私の講演は中国語への通訳なしで、持ち時間を充分に使って"WHO Endocrine tumors 2017"に則って下垂体腫瘍と膵神経内分泌腫瘍(PanNEN)の講演を行った。気に入ってもらえたようで安堵している。

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私の人生の中で最もタイトなスケジュールとなったが、多くの方々のご支援で可能となった。心から感謝しています。

 

蘇州は、庭園が有名で、その中の一か所を見学した。

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また夕刻には、River Cruiseで町の夜景を楽しんだ。

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香港では、娘の家族と一緒に時間を過ごし、蘇州では中国の病理医の方々と旧交を温め、良い思い出を携えて帰国した。

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中央アジアに位置するカザフスタンの最大都市アルマトイ(Almaty)IACTutorialが開催された。古くはシルクロードのオアシスとして栄えた町。街中のサインはすべてロシア語。

食事は、馬、羊Lamが主体であった。人々の顔はアジア系の特色が強く感じられた。

 

ホテルで開催されたTutorial細胞診講習会。約100名が対象で3日間かけて細胞診断の基礎から最近の話題まで広範囲の講習である。今年は、Kuala Lumpurの次で2回目。

私も、3回の講演を行ったが聴衆はみな非常に熱心で質問も多かった。

  Lecture 1 Neuroendocrine tumors

  Lecture 2  Ancillary and Molecular techniques in cytology

  Lecture 3 Unknown cases in Cytology

 

会期中にIACの新メンバーの加入もあり成果の大きいTutorialであった。

 

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カザフスタンは、山岳地域で数時間ドライブで素晴らしい風光明媚なところが多いといわれているが、残念ながら時間がなく次回に譲ることとなった。

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毎回感じることであるがTutorialが盛会である充実感を持ってアルマトイを後にした。

お世話をいただいたDr. zhanar yeleubayeva にお礼を申し上げたい。

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休日には、ジムに行って筋トレ、ランニングそして水泳で体力を保つ努力をしている。相当な汗をかいていると思う。終わった後でなぜかDr. Pepperを飲んでしまう。気持ちをFreshにする青春の味だからと思う。

私が渡米したのは、1970622日医学部卒後3か月のことである。

そのころ日本にはCokeはあったが、Dr. Pepperはなかった。

最初の留学地はDenver Coloradoであった。Hamburger, MacJack in the Boxも良く通った) Fried Chicken KFC, Pizza,...そしてDr. Pepperすべて初めて口にするものであった。

Dr. Pepperは名前もユニークであったが、味もCheeryと炭酸で"得も言われぬ"味で病みつきになった。今でも、Dr. Pepperを飲むと、その味が40年前の気持ちにさせてくれる。青春の味、スポーツの後には最適である。

私が学部学生のころ、水泳に明け暮れていたことは、随所に記載しているが、当時すでにビンコーラBottle Cokeは飲んでいた。Cokeについていろいろと意見があったが、私は単純に"美味い"と思って良く飲んだものである。私の青春にとってしっかりと位置付けられている。Cokeも最近は缶あるいはプラステイック瓶がほとんどでガラスのBottle Cokeはほとんど見られない。

今年の夏は、アメリカ在住の娘が孫の男の子二人つれて滞在していた。休暇で日光へ行ったが、東照宮の近くの売店で"昔懐かしい"Bottle Cokeを見つけて全員で"それぞれの想い"で飲んだ。孫も米国でもあまり見ないようで興味津々であり、瓶を持ち帰った。

私の書斎に一本おいて、アイスホッケーというスポーツに熱中している孫に思いを馳せている。

Dr. PepperそしてBottle Coke 忘れえぬ青春の味 そろそろ半世紀近く経とうとしている...

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WHO Classification of tumors of Endocrine Organs4版が刊行された。

WHO Endocrine Tumors 2017と呼ばれ始め、Volume Editorの一人として嬉しく思っている。

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さて、表紙の写真の一部に下垂体腺腫Corticotroph adenomaの一亜型Crooke cell adenomaを入れてもらった。私の病理医・病理学者としての生涯を物語るものとして是非記載しておきたい。最初の出会いは、1973年米国コロラド大学で病理レジデント3年目を終え4年目のResearch fellowの時であった。その年、私は、Prof. Paul Nakane(中根一穂教授)に師事し、Nakane教授が開発された酵素抗体法を習得すべく、日夜研鑽を重ねていた。Nakane教授が酵素抗体法を応用されたのが、ラット下垂体であった。私には、剖検で得られた下垂体を1000個みて、"何か変化(病理)を見つけよ"という命題が与えられた。とにかく毎日毎日下垂体のH&E染色を注意深く観察した。しばらくして、細胞内がリング状に染色が薄く(淡く)なっている細胞があることに気が付いた。その症例の剖検プロトコールを丹念にレビューしたところ、患者は白血病、肝移植などでステロイドを投与さえている共通点を見つけた。早速ACTHを酵素抗体法で染色したところ"見事に"陽性であった。ステロイドによる下垂体Corticotrophの退行性変性と考え、"私の発見"として大変うれしく思い、Nakane教授も喜んで下さった。早速論文作成に取り掛かったが、過去の文献を調べているうちに、意外なことに遭遇したのである。なんと1935年に英国のPathologist であるArthur Carleton Crooke博士が私の見たのと全く同じ細胞をシェーマ入りで発表していたのである。Crooke博士は、ヒト下垂体腺腫の患者の下垂体の腫瘍以外の"正常"下垂体でこの変化を見たのである。私が見つけた細胞の発現と機序は同じである。その変化は、Crooke's cellといわれて広く知られている。酵素抗体方によりACTH細胞であることを見出したのは、私が最初である。さらに、興味あることは、当初退行性変性と考えられたCrooke cellであるが、近年Crooke cellより構成されるCorticotroph adenomaは、浸潤、再発などを示すaggressive adenomaであることが判明してきた。その機序は解明中である。

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私は病理人生の早い時期に、自分でも新しいことを発見できるという自信を得たこと、"なぜか?"という疑問を持ち原因を探り当てる探求心を養えたことなど、貴重な体験をした。Nakane教授は真の研究者であり、我々には非常に厳しいMentorであった。実験には必ずコントロールを置くこと、研究テーマに固執して一生大切にすること、など貴重な教えが今でも離れない。

大袈裟な表現となるが、私の下垂体研究の"証"としてCrooke cell adenomaACTH染色をWHO Blue Bookの表紙に掲載してもらった。近い将来、機会を見つけてCrooke博士の足跡を探り、その生涯に触れてみたいと思っている。

WHO内分泌腫瘍分類第4版が626日にリリースされた。

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Ricardo Lloyd, Gunter Kloppel and Juan Rosaiと一緒にVolume editorを務めたこと大変光栄に思っている。昨年の4月にフランスのリヨン市において合宿形式で最終案を作成してからあっという間に1年以上が経過してしまった。チャプターとして下垂体pituitary, 甲状腺thyroid, 副甲状腺parathyroid, pancreas, 副腎皮質adrenal cortex, 副腎髄質および副腎外パラガングリアadrenal medulla and extra-adrenal paraganglia など臓器別の腫瘍の他遺伝性腫瘍症候群the inherited tumor syndromeに分かれて詳細が述べられている。

前回の出版が2004年であったので、すでに13年たっている。この間に各腫瘍についての臨床的および病理学的な知見も著しく増加した。治療も分子標的治療を含めて新たな試みがなされている。また各腫瘍の遺伝的な背景も解明され遺伝子に関する記載も著しく増加した。

このように各臓器にて新たな知見をベースにまとめられた今回のWHO分類がいち早く浸透することを願っている。

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622日から24日まで仕事でLAに滞在した。

いつものごとく夜のJazz liveを探した。

Catalinaという場所でRoberta

 Gambariniが出演していることがわかり早速予約を入れた。

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Robertaはイタリア出身のJazz singerで私もCDを何枚か持っており、好きなsingerの一人である。食事が終わり暗くなっていよいよと開演である。

テンポの速い曲が多く、我々聴衆とのアドリブの掛け合いも楽しいものであった。

とにかく声域が広く声量がすごい。

見事なパフォーマンスであった。

途中で歌ったI'm a fool to want youは圧巻であった。

この曲はBillie Holidayが何回も録音した名曲である。Robertaの歌唱力でじっくりと歌い上げたこの曲は素晴らしいもので、感激で涙があふれた。

Jazzに感動すること人生の喜びと言えよう。

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616日より18日まで中国西寧市Xiningにおいて第15回全国細胞病理学会が開催された。Chinese Association of Cytopathologyの会長であるDr.Dong Ge Liuの招きで訪中し、

特別講演: Pancreatic Neuroendocrine Neoplasms(PanNEN) in WHO Tumor Classification of Endocrine Organs 2017:Update of Pathology and Challenges of Cytopathology. を行った。

私のほかに、海外からの演者は Ritu NayerBethesda Systemの講演を行った。

他の演題は当然のことながら中国語で行われたが、スライドの漢字をフォローすると可成りの部分が私なりに理解できた。

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西寧市は、海抜2,275メートルの高さにある高山地帯である。

イスラム教徒もいるが、多くは仏教徒である。

インドから中国を経て我が国に伝わった仏教は、偶像崇拝も含めて現在の日本の仏教とは異なる感じがした。

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424日から27日までインドネシアのバリ島; Bali Nusa Dua Convention Centerにて第10回のAsia Pacific IAP Congressが開催された。

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本学会は、IAPインドネシア支部との共催であり、また第12APSMIも同時に並行して開催された。インドネシア、アジア諸国はもとより、ヨーロッパおよび米国などからも参加者があり大盛会であった。

学会では、以下のシンポジウムで講演をした。

Endocrine pathology:

WHO Classification 2017of pituitary adenomas: What do we need to update?

Cytopathology:

The applications of immunohistochemistry and molecular pathology to cytological

Specimens from the lung tumors

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APSMIにおいては、友人の米国南カリフォルニア大学のDr. Clive TaylorAnthony Leong Memorial Lectureの講演を行った。Tony Leongは私およびJiang GuとともにAPSMIの創設者の一人であり、第9回のAPSMIKuala Lumpurで主催した直後に残念ながら急逝した。Tonyの病理学および免疫組織化学への情熱passionは今でも深く記憶に残っている。第11APSMITaipei)では私がAnthony Leong Memorial Lectureを担当させていただいた。

 

4月とはいえ、現地は、すでに真夏の暑さであった。余暇を見て山岳地帯へ行ってみたが湖を含む眺望は素晴らしいものであった。Nusa Dua Beachは数キロにおよぶ遠浅であり、海水浴を楽しむことはできなかったが、Beachの近くにいることの"うれしさ"を感ずる毎日であった。

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盆の入りの713日にちなんで日頃思っていること、、、

3か月ほど前、仕事から帰り熱い湯で顔を洗うとなにかホッとすることに気が付いた。

なんとなく心が休まるのでそれから毎日欠かさず行っている。

理由は定かでないが、幼い頃の "あること" を思い出す。

小学校低学年当時母が大病して入院しており私は父と二人暮らしであった。

当時の日本では多くの人が風呂は銭湯に行っていた。

銭湯に行けない日は、寝る前に父が湯を沸かし、熱いタオルで私の顔を拭いてくれた。

何とも言えず安心する時間であったに違いない。

熱いお湯で顔を洗うとき"ほっと安心する"のは、この父のぬくもりのなせることと感じる。

 

私は、自分の性格が普通であると思う反面、ユニークな面も強くあるのではないかと思うことも多く、そして時に悩む。

これも最近気づいたが、幼い頃の "あること" を思い出す。

中学に入って1年が経とうとしたころ、私の成績はだんだん下がっていた。

当時は人生の方向付けもなく、焦点が絞られないまま、成績を上げるべく努力していた。

ある日、母が学校から呼び出しを受けて、担任の先生と面談した。

私はきっと成績不良を母が責められて、さぞ機嫌が悪いのではないかと密かに心配していた。

帰ってきた母は意外と機嫌がよく一言だけ "先生からユニークな子供だ" と言われたと目がほほ笑んでいた。

密かに自分の "考え方・行動" が他人と少しずつ違うのではないかと心配していた私は "先生が私の特徴をよく見てくれたこと" とともに 母が "私のユニークさに喜びを感じた" ことが、この上なく嬉しかったことが記憶の隅から呼び起こされた。

この "寛容のほほ笑み" が私のその後の人生に大きな影響を与えたと考えられる。

 

いずれのことも、この年になって改めて思い出され713日の彼岸の入りに父母から受けたちょっとした温もりを思い出せることは幸せである。

病理診断について

日本鋼管病院.jpgのサムネール画像

41日より、以前より非常勤で病理診断をしていた日本鋼管病院に拠点を移し、常勤病理医、病理診断科部長として、病理診断の診療業務に従事しています。

週一回の割で非常勤病理医が支援してくれていますが、責任を持って診断にあたる"手ごたえ"を感ずると同時にその責任の重さを実感しています。

日本鋼管病院の病床数は395床で、2016年の組織診断が5199件、細胞診断は、3698件でした。

病理診断は、正確さは勿論のことながら迅速性も求められます。

臨床検査技師の諸君とも力を合わせながら、これまで培ってきた技能、知識を少しでも実践に移したいと思っています。将来的な希望としては、分子病理およびデジタルパロソジーなども推進する病理診断科の実践を念頭に置きながら"生涯現役病理医"として研鑽する所存です。

 

教育活動

国際医療福祉大学大学院特任教授として、大学院の講義を担当します。

現在、大学院主催の"乃木坂スクール"が先週より始まっています。

私の所属が、医療福祉国際協力学分野で、担当が国際病理学です。

グローバルな視点から、癌、感染症、心血管障害、代謝疾患などの詳細を述べ、

受講生と一緒に、世界分布は?原因は?発見・診断は?治療は?などを述べる予定です。

WHOなど種々の資料を参考にしていますが、私自身も大変勉強になります。

9月から、修士・博士課程での講義が始まります。やはり国際的な視点から、主たる疾患についての解析を加えるつもりです。

学生諸君と一緒に グローバルな視点から見た疾患の分布・原因・診断・治療などについて、国際医療福祉大学から発信する情報を勉強して行きたいと思っています。


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