現在行われている東京オリンピックで、アメリカが優勝した競技の表彰式で米国の国旗掲揚と米国国歌が流れた。ふっとDr. Charles Wetli(ニックネームChuck)を思い出し、45年前別れたきりのChuckはその後どうしているだろうか?、、、、、と 早速Google searchをしてみた。すごい連想力だと思った。
1975年、私は米国留学し専門医資格(American Board of Pathology
ABP)を取得して帰国し、東海大学に就職して、母国での病理学のキャリアを始めたところであった。
米国での仕事、生活が懐かしくてたまらない時期であった。その頃、やはり新設医学部であった北里大学で、米国病理医とのカンファレンスが始まり、嬉しくも私にもお誘いの声がかかった。故西山保一教授が主催されており、早速出席させていただいた。毎回Case presentationがなされ、非常に興味のあるカンファレンスであった。そこで紹介されたのがChuck Wetliであった。Zama US Army Hospitalの若い病理医(Chief)であった彼は、非常に良く病理を知っていた。
調べた情報では、Chuckは私より1歳年上でZama HospitalにはABP合格後1~2年で就任したので病理の経験は私と同様であったとはずである。彼とは気が合って個人的な付き合いも始まり、Zama Hospitalにはしばしばお邪魔して病理のDiscussionをしたことを思いだす。住宅のあるCamp Zamaのご自宅にもお邪魔した。Campでの住まいは 芝生のあるアメリカの高級住宅街そのものであった。
Zama
hospitalでは、5時になると米国国歌が流れ国旗おろす。その間敬礼saluteを命じられた。"Bob(私)、We have to salute"とChuckに言われて私も敬礼をしたのを思い出す。これが、今回45年後にChuckを思い出した背景である。
Chuckとは親交を重ねたが、1978年ころマイアミに帰国した。寂しかったのを思い出す。2年後だったか、マイアミでUSCAPが開催され、そのころChuckはフロリダで法医学のキャリを進みその上昇気流の中にあった。以後、時折思い出すことはあっても、お会いする機会は不思議と訪れなかった。
早速GoogleでCharles Wetliを調べた。なんと法医学で有名人となっていた。
Charles Wetli, Medical Examiner for TWA Flight 800 crash, dies at 76.
昨年の7月28日に亡くなった。死因は肺癌であったと報告されている。
NY Timesの報告によれば、1996年7月17日にNYのKennedy国際空港からパリに向けて飛び立ったBoeing747は離陸まもなく爆発してLong Islandの南の大西洋に墜落した。機内にいた230人は全員死亡した。4年間の解析の結果燃料タンクの爆発が原因であった。テロの可能性を否定するために全員の法医解剖がChuck Wetli(当時Long Islandの法医学主任Chiefであった)の指揮のもと行われた。時間がかかったため、政治家、家族などから批判が続出したが彼は自分の意志を貫徹して全員の個人の同定を可能にした。
NY Timesに掲載されるこのような逸話があるChuckに若いころ親交を得たことは、私の病理人生に花を添えてくれたと感謝している。
"Chuck! you did a great job. Please rest in peace"
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