折角なので少しDaniel Inouye氏について資料を検索して読んでみた。
以下はその抜粋(抽出)である。
Inouye氏は、第二次世界大戦で、右腕を失い医師になる夢を断念せざる負えなかった、という経緯がある。それにもめげず1959年から50年にわたり選挙で上院議員に選出され大いに活躍された。
最終的には、最古参となる長年の上院議員での活躍などが、高く評価され上院仮議長を亡くなるまでつとめた。上院仮議長は、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカ歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとされている。
2012年12月に88歳で亡くなった。3日後、遺体を納めた棺がアメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置され、追悼式典などが開かれた。大広間に遺体が安置されるのは、Abraham Lincoln, John F. Kennedyなど一部の大統領や、ごく少数の議員に限られており、Inouye氏は、全体でも32人目、アジア系の人物としては初めて大広間に安置された人物となった。(以上Wikipedia)
下の画像は、今も残る公式サイトのホームページです。
また、福岡県八女市の「広報やめ」で八女市出身、ダニエル・健・イノウエ氏を紹介していて【広報アーカイブス】で閲覧できる。
広報やめ2012年10月1日号 (PDFファイル: 1004.3KB)
広報やめ2015年11月15日号 (PDFファイル: 1.4MB)
亡くなる前、2016年にInouye氏は10回目の選挙に出馬する計画を立てていた。当選すれば任期を全うするときは92歳になるところであった。その時、彼は次のような素晴らしい言葉を残している。
I have told
my staff and I have told my family that when the time comes, when you question
my sanity or question my ability to do things physically or mentally, I don't
want you to hesitate, do everything to get me out of here, because I want to
make certain the people of Hawaii get the best representation possible. (Wikipedia)
私は、私の人生において同様な言葉を口にするには、
まだまだ頑張らねばいけないと思っている。