ピッツバーグ大学名誉教授 山藤勇先生 を偲ぶ

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ピッツバーグ大学名誉教授 山藤勇先生は、本年412日にご逝去され、去る113日に都内ホテルで奥様お嬢様が来日され「偲ぶ会」が催された。

 

Isamu Sando, MD, DMedSc.jpgのサムネール画像のサムネール画像山藤先生は、側頭骨の病理学でその後業績は世界的に高く評価され、我が国でも2007年に瑞宝中綬章を叙勲されている。同じ病理学ではあっても、専門分野は全く異なり、接点はほとんどなかったが、40年以上にわたり個人的な親交をいただいたことに感謝している。

私は、1970年夏から米国コロラド州デンバーのコロラド大学メデイカルセンターの病理においてレジデントを始めた。山藤先生に最初にお目にかかったのは1970年秋から冬にかけてのある日の真夜中であったと思う。当時私は、右も左もわからずに、病理解剖をまとめるのにWeekdayはほぼ連日徹夜状態であった。山藤先生から"What time is it now?"と聞かれ"It's about midnight"と答えたのが私であったと後で山藤先生から伺った。

当時先生は、研究にまい進されており、Weekdayは夜遅くまで大学のOfficeで仕事をされていた。またGrantの申請時期には連日ほぼ徹夜状態であったと記憶している。

 

ロッキー山脈.jpg週末には、ロッキー山脈に皆でドライブに連れて行っていただいたことを今でも楽しく思い出される。私は1975年にミシガン州デトロイトのHenry Ford Hospitalに移ったが、山藤先生も間もなくしてピッツバーグに移られた。その後は、数多く来日されたが、そのたびにお声かけいただき、楽しいひと時を過ごさせていただいた。

先生は、研究のセンスの良さ、頑張りを買われて、米国留学をし、Pathology of Temporal boneの世界的なリーダーとなられた。見えないところで人並み外れた粘り強さを発揮して研究成果を出されていたと推察している。その先生の研究における生き様、また人との接点・交流を大切にする人間性など、私個人としても惹かれ学ばせていただくことが多かった。私が常に目標とした理想の人物像であったと思う。先生が亡くなられた今、大変寂しいきもちであるが、いつの日かまたお目にかかれるような気がしている。

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