文字通り"世界を股にかけて"最後まで国際的"現役"トップスター早川雪洲

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 中川織江著 セッシュウ [講談社]を読んで

 

私達の年代は、"戦場にかける橋The Bridge on the River Kwai-""で"早川雪洲を知った、" "世代"だが、今回この著に接して、早川雪洲が早くに渡米し役者として認められ、ハリウッドのトップスターに上り詰め、米国、日本、パリに移り住み、常に世界トップの俳優として活躍し続けた事を知り、非常に感銘を受けた。

 

 千葉の網元に生まれ、早々と日本での生活に見切りをつけ、21歳で渡米を決心する。父親との約束通りにシカゴ大学に入学するが、もともと芝居に親しんだ家庭環境もあって、進路変更してカリフォルニアで日本人の劇団に加わりそのキャリアを開始する。その途上で一生の伴侶となる川上鶴子と遭遇する。数奇な運命をたどった鶴子は、日本から劇団一座として渡米し、現地で劇団が経済的な窮地に追い込まれると、置き去りにされるごとくに日本人に託される。その境遇にもめげずに、日本人初のハリウッド映画スターとなる。既に米国でスターであった鶴子は、雪洲の才能を信じてハリウッドスターに引き上げる。この二人の生きざまは、人生の偶然性、出会いの大切さ、生きる力の素晴らしさ・凄まじさ、そして愛の素晴らしさ、などをまざまざと感じさせる。

 

早川雪洲の人生は順風満帆ではない。初ヒットであった"チート"は、米国で空前のヒットとなり、一躍米国でトップスターとなったが、東洋人蔑視のそしりを受け、日本では上映されなかった。

しかし、次々に映画を作成し、出演する。そのエネルギーは目を見張るものがある。日本にも家族を連れて帰国するが、急遽家族を残して、単身パリに移り住み終戦を迎える。それも凄い。ヨーロッパでも、米国で活躍する日本人として歓迎される。

雪洲には、米国人Ruthと日本人スズとの間に計3人の子供を設けるが、鶴子は最後まで自分の子として育てる。戦時、終戦、戦後と日本で3人の子供と留守宅をまもる。後に、三人とも、二人の意志を受け、それぞれ日本で活躍する。この三人の子供を育てることも、雪洲への愛情表現とした鶴子の生きざまにも感動する。

 

自由奔放を"絵に描いたような" 雪洲人生だが、"常にトップ"として輝き続け、世界を駆け続けたそのパワーは"凄い"。ハリウッドでは、"だれにも負けない"豪邸グレンギャリ城を建築した。これは日本領事館もレセプションなどに使用したほどであった。

 

本書からは、"苦労から生まれる活力"、国境を感じさせない活動力、また人間の冷たさ・暖かさ、愛情など、スケールの大きい人間の生きざまが凝縮されている。

著者の中川織江氏の、綿密な調査から描き出される"セッシュウ"像に魅了される。

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