米国ミシガン州デトロイト市のHenry Ford Hospital(HFH)(右の写真)の病理医の友人Dr.MinWoo Leeから 我々共通のSurgical pathologyでのMentorであるDr.Gerald Fineが今年の4月に亡くなっていたことを知らされた。87歳であった。今年は、何人かの親しい病理医の友人を亡くし悲しい思いをしているが、それにまた輪をかけた悲しい知らせである。私が、HFHで病理診断のフェローをしたのは、1974年―1975年にかけて、今から35年以上も前になる。4年間コロラド州デンバーでの病理レジデント、リサーチフェローを終えて、病理診断のbrush-upのためHFHのDr.Fineの元へ移動した。この時は、Dr.Siverbergのご紹介をいただいた。
Dr.Fineの指導で、私の病理人生で最初の論文を書いた。それが、
Ultrastructure of the esthesioneuroblastoma.
Osamura RY, Fine G: Cancer 1976, 38:173-179.
これは、電子顕微鏡を主体とした論文で、多くの組織学的な鑑別診断の中で、電子顕微鏡的な"分泌顆粒"Secretory Granuleの存在が診断の決め手になるという内容である。この論文をまとめるのに、周囲の病理医からの症例の収集、電子顕微鏡観察そして、"書き上げる"プロセスを懇切丁寧に教えていただいた。
コロラド大学で学んだ免疫組織化学に加えて、電子顕微鏡診断学を学び、この論文を発表したことは、その後の私のAcademic lifeの礎となったと思っている。現在までに英文論文数が500に届こうとしている。
Dr.Fineは病理診断に対し、大変に厳しい方で、周囲のスタッフ、レジデントなどつらい思いをした人が多く、周囲からは"余り好かれていなかった"と言えるような人であったが、私と前述のDr.Leeとは大変気に入られ、一度も"こっぴどく"叱られたことはなかった。HFHでの仕事は、辛かった面も多いが、私のこれまでの仕事への情熱をともし続けてくれた発端となったことは間違いない。
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