増田ユリア著 「世界を救うmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ」ポプラ社 を読んで
カタリン・カリコ博士は、新型コロナウィルスのワクチンの基本となったmRNAを使用して抗体蛋白を体に作らせ、抗体による感染防止を考えた人です。
ハンガリー生まれで、科学者の道を進むも、政治的に継続が困難となり米国に渡り研究を継続。数々の困難に打ち勝ってmRNAの理論を打ち立てます。現在ファイザー社のワクチンの元となったビオンテック社の副社長。何事にもめげず、持論を患者救済に生かしたいという強い意志を貫いた科学者です。何事にも揺るがない科学への熱意を持つことは最も大切なことと私も実感しています。この生き方は、ひとり娘スーザン・フランシアに受け継がれ、スーザンはアメリカの代表として2008年北京、2012年ロンドンで開催されたオリンピックで金メダルを獲得しました。"母から学ぶことが多かった"と回想しています。
カタリン・カリコ博士は、幼少の頃、また成長期に有名な科学者と知り合う機会があり、大いに激励を受けました。中でも特記されるべきは、幼少のころより学校で教わる機会のあった高校教師のアルベルト・トート先生。また科学的思考においては、彼女がハンガリーのセゲド大学に学び、研究者として活躍しはじめるころ、ビタミンCを発見しノーベル生理学・医学賞を受賞したセント・ジュルジ・アルベルト博士、ストレス学説を唱えのハンス・セリエ博士など。 トート先生は、幼少のころから彼女が生命現象に深い興味を持つことを見出しました。セント・ジュルジ・アルベルト博士、ハンス・セリエ博士は、科学に没頭する中において、遠く離れた若い科学者からの疑問に直接手紙などで答える熱意を持った人たちでした。彼女が所属していたサークル顧問のトート先生はノーベル生理学・医学賞受賞者のセント・ジュルジ・アルベルト博士にサークルのサポートをお願いする手紙を出したかったが、博士のアメリカの住所を知りませんでした。高齢の郵便局員が「有名人だから大丈夫だよ、名前とUSAと書けば届くから」といった。1972年のこと。いわれるままに「Dr. Szent-Gyorgyi USA」と半信半疑のまま出した。数日して本当に返事がきたことは、感銘を受ける話です。
私も、米国留学して数か月 当時興味を持ち始めた下垂体、副腎についての病理学の疑問をストレス学説のハンス・セリエ先生に 投げかけたところ、"見ず知らずの若いレジデントに"丁寧なご返事と、疑問を持ったことへの称賛と、それについての独自の考え方を書いた手紙を貰いました、その熱意に感激したことは今でも決してわすれない記憶です。若い人たちにも激励の手紙を書いていた科学者の意気込みを今でも感じます。私もすこしでもその熱意に近づこうと病理医、科学者など若い学徒からの質問には丁寧に答えることに務めています。