村松友視著 "裕さんの女房 もう一人の石原裕次郎"
本書は、石原裕次郎に関する最新の書と思う。著者が石原まき子さんとの対談を一冊にまとめたもので、石原裕次郎に変らぬ魅力を感じている私にとって、裕次郎を身近に感じる書として興味を持って一気に読むことができた。その中で数カ所"病理"という言葉が出てくるので、このブログを書く気持ちになった。
裕次郎とまき子夫人との出会い、心の触れ合いなど心温まるし、裕次郎が実際にどのような生き方をしていたかなど良くわかりほほえましい。
裕次郎は、私達にとってタフで格好いいイメージだが、スキーでの大骨折、舌癌、そして最後は解離性大動脈瘤などを患い、病院とは縁の深い人であったことが窺われる。
骨折で入院しているときに、重篤な病の佳子ちゃんを知り、力になろうとする。退院後はひそかにお見舞いに行っている。心打たれる逸話である。
病理に関して:まき子夫人の日記の一部が記されている。
舌の裏側に粟粒大の異物が出現。慶應病院に検査入院となる。
P238
十二月十一日(月)
第二回抜糸、病理の結果出る。(11日―13日まで)悪夢。 (舌癌であることを知る)
(その後、コバルト照射の治療を受ける。癌が消失するか非常に気にされていることが記されている。)
P246
九月十五日(土)
....12:30 小林さんより連絡あり、東大の病理の結果で、あの病気は一さい心配ないとのこと。一度に信じられなかった、苦しみが余りに長かったからだろうか。
この非常に短い部分であるが、私には、まき子夫人を始めおよび裕次郎の周りの人たちが、病理診断の結果を"心待ち"にし、その結果によって"一喜一憂"している様子が良くわかり、病理医の私にとって極めて貴重であった。
実際の事象は、ずっと昔の事ではあるが、すでにその頃にも"病理診断"が家族、周辺の人々に重視されていたこと、またそれが"石原裕次郎"であったことは、病理医の私として"誇らしく"感ずる次第である。
現在では、更に患者様、家族、周囲の人々に病理診断の存在が広く知れ渡っているものと期待したい。