2011年9月アーカイブ

922日 -25日 トルコイスタンブール

 

表記の学会は、922日より25日までトルコのイスタンブールで開催された。

  IMG_1789.JPGのサムネール画像 会場は、Military Museumで大きな建物で、第一会場も立派であった。

ヨーロッパの臨床細胞学の演題であり、その内容もわが国の臨床細胞学会と同様に多岐にわたっていた。

婦人科関連では、やはりHPVに関しての話題が多く、VaccinatedNon-vaccinatedの個人で細胞診などでのフォローアップのアルゴリズムを作製しつつあった。また、アフリカなどでの子宮頚癌の撲滅活動などもその資金の調達などにも触れ、国際社会への貢献にも触れることができた。また、印象深く感じたことは、現在組織切片で行われている分子病理の技術を細胞診標本を対象に積極的に行っている点であった。

EGFR, KRAS, BRAFなどの突然変異を細胞診標本、特にCell Blockを対象に、行っておりその利点なども強調されていた。

 

私は、EFCS-JSCC Joint Symposium(ヨーロッパ細胞診連合―日本臨床細胞学会合同シンポジウム)で講演した。シンポジウムのタイトルは、"Cytology of Neuroendocrine tumors"であり、私は"WHO Classification 2010 for Neurendocrine tumors(NET)and Cytopathology"の講演をした。多くの聴衆があつまり、ヨーロッパでのこの領域での関心の高さを感じた。

 

全体の出席者は1000名位と聞いているが、多くの国の細胞診従事者があつまり、活気にあふれた学会であった。来年の開催地はクロアチアである。

 

  IMG_1802.JPGのサムネール画像イスタンブールは、モスクの多い活気あふれる都市である。文化的には我々と共通点を感じながら短期間の滞在を楽しんだ。

梅原猛著 「学ぶよろこび ー創造と発見ー」 朝日出版社 2011331日初版第一刷

 

本書は、85歳となった著者によるもので3部よりなっている。

学よろこびカバー.jpg第一章「少年の夢」、68歳のときに高校生向けの講演

第二章「生い立ちの記」は、56歳のときに記した著書「学問のすすめ」よりの抜粋である

第三章「創造への道」は、最近記したものである。

 

第一章では、夢を持つことを強調し、創造には夢が大切であることを力説している。これまで、夢を実現させた人の多くは、"心に傷を持った人"であり、傷は深い程良いという。

例として、わが国で初めてノーベル賞を得た湯川秀樹博士、豊田自動車の創設者豊田喜一郎氏が挙げられている。湯川博士は、秀才の一家に育って学業は目立たない存在であった、父親は高校への進学ではなく高等商業学校への進学をかんがえた。それをいさめたのが中学校の校長であり、その進めで高校へ進学し、後に大発見をすることになる。豊田喜一郎氏は、母親と速く別れてしまい、それが傷となって後に自動車への道(父親の織機ではなく)で大成することになった。梅原博士は、早くに母親と死に別れ、伯父夫婦に育てられ、その境遇に悩みながら哲学の道に進み独自の夢を達成した。そして、いまだに更なる夢を伸ばしている。

 

第二章では、氏の生い立ちから(父の兄:伯父の子として育てられ)、その養父の影響、そして青春時代の変遷が書かれている。もともと余り勉強好きでなかったが、養母を喜ばせようと死に物狂いの勉強の結果頭角を現すことになり、その後の哲学への道の原動力になる。

 

第三章では、梅原博士の学者としての生活を語っている。氏が人間の一生を考える際に、ツァラトゥストラはかく語りき}に語られているフリードニッヒ・ニーチェの精神の三種の変貌を紹介している。精神は、最初ラクダの形で現れ、耐える精神の代表している。次はライオンの戦う心がいろいろな知識を積極的に習得する上で必要となる。最後に創造のために、ライオンは小児にならなくてはならない。創造には、小児のような遊びの精神が必要としている。忍耐-戦い-創造の推移が重要と説かれている。この流れを受けて、氏はいろいろな変遷を経ながら哲学の道を創造したことになる。

 

氏は、最後に85歳を迎えた氏が、まだ新しい哲学の創造に情熱を燃やしていることの素晴らしさに胸打たれる。

 

私の研究人生と照らし合わせてみて、共感することも多い。是非若い学徒にお薦めしたいほんである。読みやすい内容であり、各々の育った環境も考えながら、創造への意欲がわくことを期待している。

Digital Pathoogy(DP) Whole Slide ImagingWSI)が国際用語に

 

さる99日、10日と京都リサーチパークにおいて、表記の学術総会が開催され、120余名の出席者があり、盛会裏に閉会した。

本学会をフルに参加したが、議論は極めて活発であった。発表内容は、基礎、技術、応用、行政など多岐にわたっており、また企業(Vendor)からの情報提供も極めて盛んであった。

 

先日のカナダのケベック市で開催された第一回国際会議の会長をされた八木由香子先生も今回参加されていたが、諸外国の状況を見ても、病理画像はデジタルの方向に向かっている。特に、カナダで国策として病理診断のために行われているDP、米国のCAPで行われているDPValidationのガイドラインの作製など 我が国が参考に出来ることは多い。

放射線画像、肉眼像、Biomarker、病理組織像、分子病理などがモニター上で同時に観察でき、疾患を総合的に診断することがメリットである。Ptathologist's Cockpitと言われている

The 2020 Paradigm.jpg

わが国でも、テレパソロジーによる迅速診断はいち早く厚労省が保険収載して現在に至っているが、前回の改訂で病理診断料、細胞診断料も請求できるようになっている。我が国でも、遠隔であり、病理医が不足している医療施設では、"必要に迫られて"日常の病理診断を"法的に問題ならぬよう"工夫しながら行っている現状も明らかになった。

今後、行政への積極てきな働き掛けが重要である。

 

また、企業Vendorも国際メーカー、外資系メーカーから情報提供があり、展示Boothでも実際に供覧が可能であった。それぞれの特徴を生かして、凌ぎを削っているが、こと病理に関して言えば、 "良い画像を速く取り込んで、速く送って、モニターの上で速く診断がつく" システムの構築が重要である。CAPでも、システムとしてのValidationが協調されている。是非、互換性のあるように、標準化も視野に入れてお願したい。

 

最後に、国際展開であるが、アジアを見る限り外資系の企業の参入が目覚ましい、国産の企業も自由競争の場としてのアジアに積極的に展開して欲しいと感じている。

私は、指定講演II  "Digital pathology:世界情勢と我が国の国際展開" を行って、種々の課題に触れた。会場の若い病理医からも、若手の英語教育に力を入れるべきであるなど、熱い力強いコメントが寄せられた。

10周年を迎えて、このようなDPに関して総合的な議論の出来る場を提供していただき、大盛会を迎えられた、会長の土橋康成先生に心よりの賛辞を送りたい。

  20110910川床2.jpg 20110910川床.jpg

 

レベッカ・スクルート著 中里京子訳

不死細胞 ヒーラ HeLa ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生

The immortal life of Henriietta Lacks  Rebecca Skloot

講談社 2011614日 第一刷

 

HeLa細胞に係る本書をやっと読み終えた。

HeLa細胞は、不死化された培養細胞として、癌細胞の分子生物学、癌の治療、再生医療、その他実に多くの領域で応用されてきたのは、周知のことである。このHela細胞は、無尽蔵と言えるような状況で市販されていており、世界中あらゆる研究者に提供可能である。

本書は、このHeLa細胞について、著者の根気よい長期間にわたる取材をもとに、詳細が明らかになっており、中には、目を疑いたくなるような歴史的記載もある。

先ず、HeLa1951年に亡くなったAfrican American女性 Henrietta Lacksの子宮頚癌から撮られたものであることが強調され、Lacks家の人々、特にHenriettaの次女Deboraへのインタビューを通して、色々な事象が記載されている。Henriettaは、ジョンスホプキンス大学病院で子宮頚癌の治療を受けたが、死亡し、遺族の承諾を得て病理解剖を施行している。剖検記録によれば、癌細胞は腹腔内に広範に浸潤していた[文献1]。子宮頚部生検から得られた子宮頚癌の細胞は、培地の中で他の癌細胞と異なり、極めて高い増殖能を有し、Cell line化された。そして、ジョンスホプキンス大学の研究者Gey博士はこの細胞を研究に提供することを思い立ち、多くの研究者の研究に応用された。Henriettaの死後60年経っているが、実に大量のHeLa細胞がこれまで産生されたことになる。当時、インフォームドコンセントの概念はなく、これらの事実は、Lacks家の人々には知らされずに進められた。このことを、Lacks家の人々は不満に思っていると記載されているが、最終的に訴訟することはなく、"人々の役に立っている"ことで了解していると結論している。取材の中で、いくつか驚くべき史実の記載がある、HeLa細胞が他の培養細胞にコンタミ(混ざる)している、他の生物とのキメラを作製(鳥の心筋細胞不死化など、、、、)、ヒトへのHeLa細胞移植実験、、、、などである。

また、病理医として興味があったのは、本腫瘍の組織型であった。当初扁平上皮癌と考えられてきたが、のちに腺癌とされたとある。それについては、文献1に詳しく記載され、病理組織写真も掲載されている。病理組織像は、浸潤性の扁平上皮癌もあるが、同時に、多くの大細胞を多数示す、低分化癌があり、その部分がCell lineかしたのではないかと思われる。報告で見る限り明らかな腺癌を認識するのは困難である。腫瘍の切片を取り寄せることができるのであれば私自信でも是非見たいと思っている。

Helaを巡る、医療情勢、社会情勢などデボラ、Lacks家の人々を通して詳細に描かれている。極めて興味深い一冊である。英文を読んでいないが、和訳の表現も適切と思われる。

 不死細胞ヒーラ2.jpg

関連文献

1.     Lucey BP et al. Henrietta Lack, HeLa cells, and Cell Culture Contamination.

Arch Pathol Lab Med.2009;133:1463-1467

2.     Jones,HW Jr  Record of the first physician to see Henrietta Lacks at the Johns Hopkins Hospital:History of the beginning of the HeLa cell line.

Am J Obstet Gynecol 1997;176:S227-8

3.     Hsu SH, et al. Genetic characteristics of the HeLa cell.

Science. 1976 Jan 30;191(4225):392-4.

4.     Jones HW Jr,et al. George Otto Gey. (1899-1970). The HeLa cell and a reappraisal of its origin.

Obstet Gynecol. 1971 Dec;38(6):945-9.